Vol.1
No.8:見つけた答え
「沙映?起きてるの?」
「んー…?なに?」
「貴人君が来てるわよ」
その一言でガバリと跳ね起きた。
時計を見ると11時。
寝すぎた…まぁ土曜だからいいけど。
と一瞬のんきなことを考えてしまった頭がフル回転を始める。
貴人が来てる?
どうしようと青くなっていると、母親がドアを開けて入ってきた。
貴人が…。
「なに。早く着替えて降りてらっしゃい。リビングにいるから」
「うっあ。うん」
別に貴人を連れてきたわけじゃないらしい。
さすがに起きたばかりの娘の部屋に男を入れない常識を母親が持っていたことに感謝しながら、
あたしは何事もないかのように素直に頷いた。
「早くするのよー」
あたしはラフな格好に着替え、下に行って顔を洗い、ちらりとリビングに目をやる。
貴人が談笑していた。たぶん母親と。でも兄貴の声もする。弟の声も。
家族全員、貴人の味方らしい。
腹が立つ。
あたしは2階の自分の部屋に戻ると、身だしなみを整え先ほど下に行って取ってきたものを履き、ベランダに。
コートとマフラーと帽子で武装したあたしは、いろいろ入ったリュックを背負い、ベランダから身を乗り出した。
「んしょ…」
誰にも見られてないことを確認しながら、雨水の通るポールをつたって地面へと降りたったあたしは、
ほくそ笑むとさささとリビングの前を走りぬけた。
最後に一瞬、アッカンベーをしてやる。
たまたまこっちを見ていた兄貴が気がつき、リビングの窓に駆け寄ってきた。
あたしはチャリを起動させ飛び乗ると、風のように家を後にした。
なんか後ろで言ってる。
くくくく…
まんまと一泡吹かせられたことににんまりしながら、美晴の家へ向かう。
美晴にはもう連絡してある。
あの2階から降りるワザは本当は鍵を忘れたときに使う。
もちろん登るのだ。不用心にも、大体あたしの部屋の窓は空いてる。
降りるのはちょっと怖いけど、あのままリビングで何が起きるかと想像するとまだましな選択だ。
美晴の家に着くと、美晴が出迎えてくれた。
自転車を目につかない所に置き、上らせていただく。
昨日から親が旅行中というタイミングで、残っている美晴と美晴のお姉さんにはあたしがいることを言わないでくれと頼んだ。
美晴は若干危ないが、美晴のお姉さんは優しいから大丈夫だろう。
美晴の部屋に落ち着き、ホットココアを飲んで一息つく。
お腹すいた…と思っていたらお姉さんがお手製のパウンドケーキを出してくれた。
なんて優しいんだ。
お姉さんに涙ながらにお礼を言うと、お姉さんは「がんばりなさい」となぜかしみじみと言われた。
「で。」
「はは…」
「二階から降りて逃げてくるほど貴人君が嫌になったのはなんでかなー」
「…」
あたしの武勇伝を聞いた美晴の第一声はそれだった。
もうちょっと感心してくれてもいいのに。
まぁ、あたしも言いたいことがあって美晴んちまで乗り込んできたわけだけど。
あたしは昨日のことを話した。
「…だってあいつ、あたしが帰るって言ってるのについてくるし」
「ふんふん」
「約束してた1メートル協定も破られるし」
「ふむふむ」
「だってそもそもいつも突然すぎるし」
「ほうほう」
「だいたいさ、不定期に現れてはさんざん口説いてくるんだよ?なんかイラっとしない?」
「なるほど」
「西畑さんと映画でも行ってくればいいんだ」
「それね」
「そうそう。…て、え?」
思わず聞き流しそうになった美晴の言葉に引っかかりを覚えて聞き返すと、美晴はズバッと人差し指を突きつけた。
「沙映。あんたが認めたがらないだけで、それは誰が聞いてもどこからどう考えてみても、嫉妬よ」
「…しっとり?」
「く。あんたがそういうボケを言いはじめる日が来るとは…」
額に手を当て、やれやれと首を振った美晴は、がしっとあたしの肩をつかみ、ずずいと顔を近づけて眼光鋭くあたしを見る。
美晴も眼力ある方だけど、普通の時でも吸い込まれそうになる貴人とは格が違った。
「いい、沙映。よーくお聞きなさい」
肩に置かれている手に力がこもる。
「あんたはね、貴人君が好きなのよ。だから貴人君と楽しそうに話す西畑さんに嫉妬してんのよ。
でもあんたは自分の気持ちを認められない。だから貴人君に振り回される自分にいらつくのよ」
あたしが、貴人を好き…
それで西畑さんに嫉妬してる?
「そ、そんなこと」
「否定できないでしょ。
沙映、あんたは本当の気持ちをごまかそうとしてる」
「ちが…」
「違わない…でしょ?自分の気持ちに正直になってみな」
自分の気持ちに正直に。
簡単に言うけど、あたし自身混乱してる。だからイラつくし、もどかしい。
私は貴人のことをどう思ってるんだろう。
好きか嫌いかと言われれば、好きだろう。
じゃなければ遊ばないし。
でもそれが恋愛感情かといわれると、よくわからない。
誰かを好きになったことはあるつもりだけど、それとは違う感情のような気がする。
考え込んだあたしの肩を、美晴がぽんぽんと叩く。
「よーく考えてみなよ」
言われるがまま、貴人とのことを思い出していく。
初めて見たとき。
お見合いだってわかってなんだか嫌だった。
キスされて、そんな男とは付き合いたくないって思ってたけど…
話を聞いたら、ふざけてるように見えないし。(ふざけてるのかってぐらい歯の浮くセリフはよく言ってるけど)
遊んでみたら、結構いい奴だったし。
でも、やたらセレブだし、顔は綺麗であたしから見ても自分とは不釣り合い。
あのゲーセンの子や西畑さんと付き合っちゃえばいいじゃない。
…そう思っても、なんかやるせないんだ。
これは、好きだからなの?
「あたし、あいつのこと、好きなのかなぁ…」
「私にはそうとしか思えないんだけど。ね、沙映、あんたはどう思ったの。貴人君に好きって言われて」
「それは…嬉しくないわけはないけど…」
恥ずかしくてそれどころじゃなかったかも。
好きだと言って笑う貴人の顔が唐突に浮かぶ。
あの表情を見せられて、うれしくならないわけはない。
あの笑顔はあたしだけに向けられるものじゃないんだと思った時、あたしはほんの少し失望した。
そっか。
これが嫉妬なのか。
あたしは…貴人のことを…
「好きなのかも」
「かもってなんなのよ。はっきりせんかっ」
「好きなんだ」
「うんうん」
「だからこんな訳がわからないんだ」
そういうことか。
あたしはきっと、見た目とかセレブだとか、初対面からキスされたこととかで、無意識に貴人を拒絶してた。
でも好きになりそうで、でもその気持ちが認められなくて、こんなにイライラしてたんだ。
そう思ったら、ストンと心の中に何か落ちた。
あたしはつきものがとれたようなすがすがしい気分で美晴に笑ってみせた。
「納得できたの?」
「うん」
「そうかぁ。これで沙映にも初彼氏だね!なんてレヴェルの高い…」
「ちょ、まだ付き合ったわけじゃ…」
「でも自覚したんでしょ。そして貴人君があんたを好きなことは確実。くぅ〜。うらやましいわ!」
「ずいぶんまえからカレシがいるやつがなにおいうか」
「あはは…」
その後、美晴の家で話し倒し、夕食をごちそうになってから帰ることになった。
家に帰るのは若干気まずい。
貴人からは逃げてきたも同然だし、探し回っているらしく美晴の家にも連絡がきた。
お姉さんが機転を利かせて美晴と出かけたと伝えてくれたので心配はかけてないと思うけど…
さすがにもう貴人は家に帰っただろう。
今日自覚したばかりの気持ちで貴人の前に立ったら、あたしはどうにかなってしまいそうだから。
いない方が幸せな気が…
でも自覚してしまったせいか貴人に会いたくてたまらない。
変な気分。会いたいけど会いたくない。
会ったらまずは謝らなくちゃいけないな。
「いい?会ったらちゃーんと自分の気持ち伝えんのよ」
「う、うん…」
「がんばって!月曜いい話、期待してるわよん」
美晴に見送られ、家路へと自転車を押しながらのんびり帰る。
とっくに日の落ちた冬空は綺麗に晴れ、シンと冷えた空気があたしを取り囲む。
はふ…と白い息を吐きながら、あたしは歩いた。
帰ったら家族になんて言い訳しよう…
と思いつつ駅前の繁華街をのんびり歩いていたあたしは、ふと隣を見た。
明らかにあたしの知り合いじゃないおにーさんが「よ」と手をあげてにやけた笑いを浮かべる。
なに?こいつ…
と思い無視して通りすぎようとすると、正面からもおにーさんが。
あわてて向きを変えようとすると、そっちからもやってきた。
あたしは正面の奴の隣をすり抜けようとする。
「連れないなー。ねね、カラオケ行こうよ」
「あたし、今から帰るんでっ」
何でこういう時に限って変な奴に絡まれなきゃいけないんだよ!
あたしは足を早め、自転車に乗ろうとするが最初に話しかけてきたやつが荷台をつかんでいる。
男たちはにやけた笑みを浮かべ、「どこのカラオケ行く?」「カラオケ●がいいんじゃね?」とのんきな会話をしながら、
あたしの反応を見ている。完全に面白がってやっているのだろう。
「どいてください!」
「いーじゃん、ちょっとだけ」
あたしはもう構わずずんずん進むが、男たちもわらわらとついてくる。
いやだ。なんか怖くなってきた。
「ついてくるな!」
「そっちは暗くて危ないよー」
男の一人が言う。あたしははっと辺りを見返した。
いつの間にかあまり人通りのないところへ入ってしまったようだ。
青くなるあたしに、男たちがゲラゲラ笑う。
「おいおい、こっちラブホがある方じゃねーか!」
「なんだよ、そっちがいいならそうと言ってくれよ」
「な、違うし!帰るんだからさっさとどいて!」
あたしは無理やりサドルにまたがろうとする。
そのあたしの腕を掴んで、男の一人が顔を近づけてくる。
耳元でささやかれて、鳥肌が立った。
嫌悪で顔をそむける。
「誘ってんだろ?」
「違う…!」
あたしは男から腕をもぎ取ると、自転車を捨てて逃げ出した。
「おい!」
「追いかけようぜ」
男たちは余裕綽々で追いかけてくるが、あたしは必死だった。
恐怖に追い立てられて泣きたくなってくる。
嫌だった。
貴人だったら、どんなに近くなっても恥ずかしかったけど嫌悪感はなかった。
でもあの男はいやだ。怖い。
貴人に会いたい。
助けて。
「貴人、助けて…」
思わずそう呟いた。